由 緒


由緒


 
堀川天皇の寛治四年正月(約九〇〇年前)、白河上皇熊野御幸の帰途、隣地の別野村の田中に白蓮の咲いているのを御覧になって、同所に熊野神社を祀ろうとして暫く当所に蹕を駐給うていた際に、本地人民が今の有真香の土生滝の意賀美神社を産土神と仰いでいて、其の遠くへだたっているのを憂いて、衆議の上源俊頼郷に依って鎮主の神を祀ろうとして願いを出たところ、聴許あらせられ天満天神を祀るべしとの御意を下し給うた。依って里人は大いに喜び俊頼郷に従って上洛し其の旨を北野天満宮に伝え、其の分霊と道真公真筆の法華経とを受け帰り、同年八月二十一日上皇御駐蹕の祉に社殿成って祀ったのが、即ち当社の起源であると伝える。
武甕槌命、経津主神、天児屋根命、比淘蜷_はもと境内末社に春日神社として祀られてあったものである。
 国内神名帖には神位を従五位と記している。
 明治五年村社に列し、同三十五年十月八日字樫の村社八幡神社(品陀別命)を合祀し、同四十年一月神饌幣帛供進社に指定され、同年十一月十一日字山下の山下八幡社を合祀した。この合祀した山下八幡は、岡部美濃守宣勝の当社隠居所に引移って後、土用中虫干の具足、座敷に飾ってあったところ、首の輪のある山鳩(俗に八幡鳩ともいうもの)二羽来て冑の八幡座に留まったので、武運の吉瑞であるとして喜び、程なく鳩の飛び立って留まった所を見届けさせ、其の地に社殿を建て八幡宮を勧請したのが即ち比の八幡社であって、社領三町二反一畝十三歩を寄せ、八幡山感応寺宮寺となし、これに二十石を寄せて、例年八月十五日放生会を執行して来たのであるが、明治五年神仏の分離によって寺は廃絶し、社は村社に列して来たものである。明治四十一年十一月十一日に当神社に合祀になった。
 境内神社として、天照皇大神社(神明神社)・神武天皇社(肇国神社)・熊野神社・高神社・厳島神社・牛神社・稲荷神社がある。
 昭和四十九年社叢(境内森)が岸和田市の天然記念物に指定された。

 







  土生神社九百年祝碑










     土生神社九百年祭記念碑