宮座のご紹介




宮座とは

 一般的には、「平安末以降、氏神の性格がかわり、その土地居住者が氏子であると考えられるようになったころから現われたもので、西日本に多い。古い氏子の氏神祭祀に関する特権的団体をいう。これに属するメンバーを座衆・もろと・おとな等と呼ぶ。中世の商工業の座とも関係は深いが、宮座がその源とも断ぜられない。座衆は祭礼行事の中心となったり、特定の建物「座」に着席する権利を保有したりして、封建社会を通じ村の家柄として村政一般にも権力を振った。権利は普通世襲的で、場合により多額の入座金を徴収して参加せしめたが、これは崩れた形である。座田山林等共有財産を持つ場合あり。座外との争いもしばしば生じ、解散や新座が設けられること等があった。明治以降衰えた。」(山川出版社刊日本史小辞典より)





岸和田の宮座

 和泉地方では宮座の組織が多くの神社、地域で残されており、岸和田市内の神社でもほとんどの神社でかたちはさまざまであるが宮座の組織が残されている。たとえば岸城神社では本座、和歌座、南座、神座、八幡座の五つの座があり、それぞれ座を営むほか、座老は現在でも例大祭をはじめ夏祭、冬祭、十日戎大祭、毎月一日の月始祭に神官同様の白い装束をつけて参列し奉仕している。矢代寸神社の宮座はかつて牛頭天王五座と呼ばれた宮座で、現在は氏子五町よりそれぞれ五人ずつ計二十五人の座老で構成され、例大祭や毎月一日の月次祭ほか年間二十数回の祭典に参列し奉仕している。このような宮座の組織の長老である座老は現代のように村の神社に専任の神職がいなかった時代には神主として祭祀を司っていたのである。また戸籍のなかった昔は子供が生まれると宮座に届け出て生帳に記載したのである。その順番が後々座の役職に就任する順番でもあったから子供が生まれると我先にと届け出たのである。他村から養子に来るとその時が一歳と見なされ、生涯座老職となるチャンスはめぐって来なかった。現在はそれほど厳格ではなくなったが、今でも地元で古くから続く家柄に限る場合が多い。





土生神社の宮座

 当社の宮座はふつう十六人と呼ばれている。また座中という。その名の通り十六人で構成され、筆頭の一老を一年間務めると卒業し、二老が一老に昇進し、順繰りに上がって一番下に一人新入の座老が加わるのである。下から四番目の人を「鍵持ち」と呼び、社務所の鍵を預かっている。祭典のある日など鍵持ち以下四人が早くから来て幕張りなど準備し、祭典後の直会の席でのお世話もすることになっている。次の通り宮座には現在でも厳しい規約が定められている。








   土生神社宮座座老席順





土生神社座老規約

 一、座老はこの規約にもとづき左記の諸規約を遵守しなければならない

 二、神社の式典に引き続き三回欠席した場合は自発的に座老を退座する事

 三、神社の奉仕作業の場合には必ず出席する事、出席できない場合には代理
  人を差し出す事

 四、年末の〆縄門松奉仕作業には必ず出席する事 但し病気その他やむを得
  ぬ場合は一老迄届出する事 無届で奉仕作業に出ないときは協議の上その
  処置をきめる

 五、諸行事の場合には座老のうち年下の四人は一時間前に出席し諸準備を
  する事








         座老規約




(宮座の歴史)

 当社の宮座は何百年の歴史を持つ伝統のある組織であり、正に生きる文化遺産である。そもそも構成の人数である十六人という数は当社の一つの創建伝承にもとづいている。それはかつてこの村は意賀美神社を氏神様としていた。村から遠くて参拝する者が少ないため近くに氏神様がほしいのと、村民が雷鳴を恐れて天満宮を勧請したいというので、村上天皇天暦二年(西暦948年)村中の人々が相談して村内の過半数の同意を得て庄官山中治郎兵衛、縣重助、多木吉右衛門、年番役録右衛門、黒右衛門、一助、茂右衛門、黒兵衛、治平、村総代人現太夫、間田助、斉治郎、判助、喜多右衛門、田郎右衛門、勝右衛門の拾六人が同年八月十五日出発、京都北野天満宮に参詣し、ご分霊と菅原道真公ご真筆の法華経一巻を戴いて、同月廿一日帰村し当地にお祭りしたのが当社の創建とする伝承がある。この伝承の故事により宮座の座老の定数が現在でも十六人になっているという。

 かつては古座と新座があり、それぞれ十六人衆がいた。明治期の神社合祀のとき一つになり、規約が明治四十二年改定された。古くは一老・二老は毎日八十軒のご飯を炊き配った。(もらう家は月一回戴く)配った家は御膳料として座老に返した。三老は仕事がなかった。下から四人が中老とよばれ、その年頭は中老頭で炊事係であった。古座では一老は命のある限りつとめた。だから一老になれないで死んだものもある。新座では一老は三年限りであった。また古座には宮田一町、新座には宮田四段七畝の財産があった。十六人衆は戦時中旱魃のとき毎朝神社にお参りし祈祷して百灯明をあげた。





(宮座の行事)

 かつて正月一日座老が土生神社の鳥居に〆縄飾り(伊勢海老、かや、勝栗、橙、串柿)をした。あとで一老がお下がりを戴くことになっていた。

 座式は古座が二月十五日、新座が二月二十五日に行っていた。座が一つになって二月二十五日一回になった。現在は行われていない。

 旧七夕に七日盆または七日座と呼ばれる行事があった。土生神社より東一町半ぐらいのところに牛神山があった。馬・牛を土で作り、目は黒豆、耳は貝で作った。牛がいる家では牛を連れて牛神山に行き一老二老が出て大祓いをした。午後からは余興の相撲が行われた。現在は牛神社として土生神社の境内に移祀されている。

 現在も神社の年中行事の多くに宮座の座老が参列し奉仕している。また毎月の清掃奉仕のほかさまざまな奉仕をしており、特に年末十二月二十五日に行われる迎春準備は現在では宮座の最も重要な行事と言ってもよい。お正月を迎えるにあたって注連縄と門松の準備をするのである。この日までに注連縄に使うもち米の藁と、門松に使う雄松雌松、竹、梅、南天、笹、葉牡丹などを取り揃える。それも購入するのではなく松も竹も自ら伐りに行くのである。もち米や葉ぼたんはそのために座老が育てている。そして当日は早朝より注連縄をなう人と門松を準備する人に分かれて作業をする。こうして毎年繰り返される作業によって土生神社では無事新年を迎えることが出来る。そしてこの日をもって一老は座を卒業することになり、感謝状を宮司より授与し座老の歌う蛍の光に送られて神社を出る。替わりに次席者が座に加わる。

 宮座は年に二回春と秋に旅行を行っている。秋の旅行の際には出立前社務所の菅原道真公像の掛け軸の前にお供えをして宮司がお祓いをし、安全を祈願している。 









宮座座老による境内の清掃





(総代と世話人)

 神社には古くから続く宮座のほかに、総代と世話人が置かれている。神社には宗教法人法に基づく責任役員4名(うち代表役員を宮司が務める)が置かれ、総代と世話人はそれをサポートする。総代は現在八名置かれている。筆頭総代は町会長が務め、座の一老も総代を兼ねている。