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氏子地域のMAP
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昭和5年6月16日 阪和電気鉄道の土生郷駅として開業。
昭和7年 阪和岸和田駅に改称。
昭和15年 南海鉄道に吸収合併され、南海山手線の駅となる。同時に東岸和田駅に改称。
昭和19年 国有化され、国鉄阪和線の駅となる。
昭和61年 快速電車駅となる。
昭和62年 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となる。
島式2面4線のホ-ムを持つ駅で駅舎は東側にあり、ホ-ムとは和歌山寄りの跨線橋で結ばれている。
乗車人員は、1日平均10,413人(平成15年度)であり、阪和線、関西空港線の駅の中では第8位の利用者数。
駅前の再開発事業が進められている。

昭和4年 阪和電気鉄道により阪和天王寺-和泉府中間、鳳-阪和浜寺(現東羽衣)間が開業し翌年6月16日 和泉府中-阪和東和歌山(現和歌山)間が開業し全通。
昭和15年 南海鉄道に吸収合併され同社の山手線となる。
昭和19年 国有化され阪和線となる。
昭和60年 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に承継。
天王寺〜和歌山間の営業キロは61.3km

(起点)大阪市北区-(終点)和歌山市陸上距離72.3km
以前は「旧26号(現堺阪南線)」に対し第二阪和国道と称されていたが現在はこちらが国道26号線と称される。
建設工事に際し土生遺跡の発掘調査が行なわれた。
また作才付近にあった「しゅうれんぼ」という美しい湧き水が埋立てられた。

岸和田市の南部を東西に貫く主要地方道。地元の人はこの道を新道と呼び、道路建設にあたって土生神社の境内の一部が削られた。土生のわかれとから上は旧葛城道にほぼ重なっている。起点は岸和田市大北町、終点は岸和田市塔原町。陸上距離12.8km。土生交番付近より天神山方面に向けて市道流木水源地線が分岐している。

大阪市北区から泉南市に至る主要地方道。旧小栗街道のルートにほぼ重なる。陸上距離48.8km。通称「13号線」と呼ばれる理由は諸説あり、一説では「国道26号線」の半分の道幅しかないから「13号線」と言ったという説がある。土生町付近で舗装されている道路がこの道しかなかった頃道端に麦をひいて通過する車に轢かせ脱穀したが、暑い日はアスファルトにへばりついてだめになったとのこと。

昭和58年竣工 土生町会は現在約3000軒の加入がある。

永橋金雪氏組合長時代に建設した。この付近に昔淵があり、基礎工事に苦労したという。現在組合加入は約160軒。組合長は土生神社の責任役員・総代を兼ねることに決まっている。

土生農事実行組合は昭和二年四月に設立。現在組合加入は約90軒。組合長は土生神社の責任役員・総代を兼ねる。毎年11月23日実行組合主催により新嘗祭が行われ、新穀が神前にお供えされる。

土生新田にある。昭和22年頃土生新田実行組合の会館・倉庫を建築した。山本安男町会長時代の昭和50年町第二会館併用として新築した。

昭和49年現在地に交番を設置 以前は町の中に駐在所があった。交番のある付近は大門の地名が残り、付近にあったと思われる土生廃寺に関連する地名のようである。

昭和56年4月に本市一番目の市民センターとしてオープンした住みよい地域づくりをすすめるコミュニティー活動の拠点である。窓口サービス(東岸和田サービスセンター)、公民館(旭地区公民館)、図書館(図書館旭分室)の機能がある。

昭和49年経営開始 戸数ー601戸 タイプー高層 住宅種別ー一般住戸・高齢者向け改善住戸・車イス常用者向け住戸 土生町5丁目にあり校区は太田校区 府営住宅は岸和田市内に17ヶ所ある。

平坂住宅は土生町5丁目にある住宅地。昭和57年6月頃より開発。平坂は開発した業者名。

市営山下住宅は昭和30年2月30戸で竣工 現在の会館は昭和54年に新築 山下住宅は神明山跡にあり、古墳の跡地と見られる。

平成15年竣工

明治22年7月大阪府収税部岸和田出張所設置 明治27年岸和田税務署に改称 昭和11年岸城町に庁舎新築 昭和47年土生町2031−1に庁舎を新築移転 平成6年庁舎増改築工事完了 管轄区域は岸和田市・貝塚市

昭和57年現在地の土生町2丁目に岸和田市環境整備事務所が移転した。現在は事務所名は廃止され、環境部環境整備課と環境部廃棄物減量推進課が道を隔てて隣接してある。

昭和48年5月27日開局 昭和63年10月局舎新築 局のある場所はもとは今池の堤であり、局の裏に今池公園がある。

岸和田たばこ商業協同組合の事務所がある。昭和24年組合設立。昭和43年現在地に事務所が移る。もと光信用金庫の建物

明治34年(1901) 旧岸和田城内に郡立泉南高等女学校として開校。
明治44年 野田町に移転。
大正4年 大阪府立泉南高等女学校となり、昭和3年 大阪府立岸和田高等女学校と改称。昭和23年 岸和田高等学校(旧岸和田中学)と生徒交流を行い男女共学の大阪府立和泉高等学校となる。定時制課程を併設。昭和46年現地に移転。

養護学校が義務制になった昭和54年に開校。大阪南部地域の肢体不自由教育の拠点校。小学部、中学部・高等部の児童生徒約100名余の規模。

平成3年9月5日市条例第24号により、校名を岸和田市立土生中学校と決定する。同年10月16日安全祈願祭が行われる。(創立記念日となる。) 平成5年4月1日岸和田市立土生中学校として開校される。同年4月2日竣工式・開校式が行われる。平成6年4月21日校歌披露会を開催し、「土生中学校校歌‘‘友よ‘‘」作詞田村絹代 作曲角谷真紀代 を披露する。平成7年空調設備設置(校長室・職員室) 平成16年9月10日「心の教室」改修工事完了
校章の輪郭は梅の花を表し、旧制土生郷尋常小学校の校章をアレンジしたもの。平成18年4月現在生徒数650名


昭和22年4月1日岸和田市立第四中学校として創立 同年4月22日開校 岸和田市立旭小学校において開校式挙行(創立記念日) 仮校舎を旭小学校に3教室、修斉小学校に4教室、東葛城小学校に1教室を開設 同24年4月1日全員本校に収容 同年5月9日葛城中学校に改称 平成5年4月1日土生中学校と分離 同9年7月5日創立50周年式典挙行 敷地面積25,367u 建物面積8,798u
中学校のある辺りは八幡山と呼ばれ、かつて山下八幡宮があった場所である。以前敷地内から狛犬一対が見つかり、現在矢代寸神社の手水舎の両側にすえつけてある。

明治6年極楽寺に泉州第37番小学校設置 同7年泉州第37番小学校から土生作才を分離して泉州第102番小学校を設置(後の旭小学校) 同8年公立土生小学校と改称 同21年土生簡易小学校と改称 同25年土生尋常小学校と改称 同41年土生、極楽寺の両小学校を合併し、土生郷尋常小学校となる。 同42年新校舎に移転 大正10年土生郷尋常高等小学校に改称 昭和13年旭尋常高等小学校に改称 同22年旭小学校に改称 同43年旭小学校に旭幼稚園を併設 同54年天神山小学校に旭幼稚園分園を開園 同55年旭幼稚園分園を天神山幼稚園として独立

昭和15年旭保育所開設。昭和26年改築工事、昭和54年4月全面改築工事。定員90名(0〜5歳児、現在106名)

昭和57年5月26日起工式 同58年3月8日竣工・教育委員会に移管(創立記念日とする) 同年3月25日竣工式 同年4月2日開校式 平成14年11月10日創立20周年記念式典挙行 校名は付近にあった太田池の名前に由来。また校地内にあった畑遺跡の竪穴住居の跡が中庭に円形緑地として保存されている。太田幼稚園を併設。プールのある付近にかつて平松池という水の湧く池があった。

昭和42年4月開園。園地総面積3565u。定員475名(15クラス) 保育年齢満3歳児・3歳児〜5歳児 「広い運動場で思いっきり身体を動かし、異年齢の子ども達ともかかわります。自分から遊びを見つけることで自主的な精神を育て、友達とかかわることで思いやりの心を育てます。日本の四季の行事を大切にするとともにパソコンに触れたり講師を招いての体育や音楽指導等の実体験を通して心身を養い、21世紀を担う子ども達を育んでいきたいと考えています。」(園のパンフレットより)

昭和25年5月1日小学校工作室を保育室とし東光小学校に併設幼稚園として創立。同47年2月16日新園舎竣工、小学校を離れ現在地に新築移転。同51年肢体不自由児学級を設置(しいのみ) 平成6年2年保育を実施 同14年異年齢児学級編制実施。

平成12年開設。入所定員120名 0歳児から5歳児(保育開始年齢6ヶ月) 敷地面積791.57u、建物面積792.57u(造2階建て)、園庭面積330.59u 特別保育事業として乳児保育、延長保育、一時預かり保育を、自主事業として地域子育て支援事業、園庭開放・遊び教室、課外体操教室などにも取り組んでいる。
保育園のあるプリマード東岸和田のある場所はもと牛ばみ池というため池があった。

平成14年4月開園。入所定員120名(保育開始年齢生後57日以降から) 敷地面積355.15u 建物面積500.80u 鉄筋コンクリート造3階建 園庭面積198.71u 特別保育事業として乳児保育、延長保育、一時預かり保育、地域活動として異年齢児・世代間交流事業を、自主事業として地域子育て支援事業などにも取り組んでいる。

平成10年開園 24時間制の託児所 定員30名

昭和59年岸和田高等技術学院設置 同60年岸和田ビジネス専門学校(商業科)設置 同61年運輸大臣(現国土交通大臣)より自動車整備士一種養成施設の指定受ける。同63年文部大臣(現文部科学大臣)より大学入学資格付与校の指定受ける。平成9年工業高等課程(自動車整備科)を新設 同10年学校法人神須学園設立許可を受ける。 同14年大阪技能専門学校に校名変更 総合工業科を新設 商業科を総合商業科に改称 同17年徳風高校と技能連携 関連施設として奈良県宇陀市に厚生労働省委託実施事業である若者自立塾室生館がある。

昭和23年6月土生郷農業協同組合設立 昭和44年3月31日中央・土生郷・有眞香・東葛城・山滝・山直上・八木・南掃守の8農協が合併し、岸和田市農業協同組合誕生。愛称JAきしわだ。この場所にはもと土生郷村の役場があった。

平成12年6月岸和田市農業協同組合土生郷支店敷地内にオープン。土生郷支店女性会「あさひ会」が運営。毎週月曜日から金曜日の午前10時から午後4時まで開かれている。旭校区お住まいの人を中心に毎日10名以上の高齢者の利用があり、血圧測定など健康チェックの後食事やゲーム、アクセサリーづくりなど楽しい時間を過ごしている。

定員25名 サービス提供地域ー貝塚・岸和田・忠岡 営業日ー月〜土曜日 休日ー日曜日・年末年始・9月10月祭礼日 営業時間ー午前9時〜午後6時 提供時間ー午前9時30分〜午後4時30分 関連施設として在宅事業を行っているアイリスケアセンター東岸和田が土生町4081サバービア岸和田2Fにある。

軽費老人ホームの開所は昭和51年3月1日 入所定員50人 ケアハウスの開所日は平成11年9月1日 入所定員30人 対象は60歳以上で身の周りのことが出来る方、夫婦の場合はどちらかが60歳以上の方。低額な料金で健康で明るい生活を送っていただくことを目的にしている。在宅事業(介護保険利用)としてデイサービス(通所介護)、ホームヘルパー(訪問介護)、ケアプラン(居宅介護支援事業)も行っている。

平成14年4月に開設。地域生活支援センターとは「地域で生活する精神障害者の皆さんがくつろげる場です。また、皆さんやそのご家族の方に対して自立・社会復帰・社会参加などの支援活動を行うところです」(センターの利用のしおりより)利用は登録制で、開所時間内はフリースペースとして開放されているほか、ご本人や家族の相談に応じたり、作業所利用の窓口や情報提供、食事サービス、クラブ活動、喫茶コーナーなどしています。協力団体としてボランティアグループサン・アーチ、家族会はづき会、市民団体げんきの会があります。

社会福祉法人かけはしが運営する小規模通所授産施設。平成2年下野町で開設し、平成4年現在地に移転。同法人の運営する小規模通所授産施設として野田町にオーロラがある。

渡辺病院は、昭和55年10月開設 診療科目ー内科・外科・整形外科・皮膚科・眼科・循環器科・心療内科・消化器科・リハビリテーション科・麻酔科・歯科 病床数ー198床。
第二渡辺病院(旧称泉州病院)は、昭和40年5月21日開設。診療科目ー内科・心療内科・神経科・精神科・皮膚科 病床数ー336床

昭和42年設置

岸和田市立のスポーツ施設(葛城運動広場) 昭和44年3月31日開設。総面積1万5732u。

昭和56年旭団地にできた公園。面積0.15ヘクタール。

昭和57年土生町2丁目の中心部にできた公園。面積0.38ヘクタール。土生遺跡の中心地で発掘時多くの出土品がこの付近で発見された。

今池を埋め立てた跡地に昭和57年できた公園。面積2.05ヘクタール。

卸団地の北側に昭和60年できた公園 面積0.39ヘクタール

市立中央体育館の東側に昭和55年できた公園 面積0.12ヘクタール

昭和55年トークタウンに隣接してできた公園。面積0.1ヘクタール。トークタウンの反対側に東区1号公園があり、昭和56年にできた。面積0.25ヘクタール。東区はトークタウンにちなんだ命名と思われる。

平成6年開設 70区画(約700坪)ある。農事組合法人としてオーナー制の市民農園や朝市の活動など、「農と住の調和」に向けた活動を行っている。毎週日曜日午前6時から7時30分朝市が開かれている。


土生町2丁目に2箇所に分かれてある。上町在住の昔ながらの百姓松下佳造さんが、「自然への畏敬の念・万物を慈しむ心・我欲我執を捨てる」を基本理念として、農薬や化学肥料やビニールハウスを使わずに野菜のいのちと向き合って取り組んでおられる農園。「自己満足と他人は批判するが私は自己犠牲の精神でやっている」と松下さん。

岸和田市社協登録のボランティアグループ「花いっぱい運動遊花の輪」により、東岸和田駅前(泉州銀行横)憩いの広場一帯ほか9ヶ所で「お洒落な花壇を」を合言葉に寄せ植えを主に花を植え育て道行く人を楽しませてくれている。グループは平成12年頃より活動。東岸和田市民センターで毎月例会開催

平成17年7月植田禧子様がご自宅に開設した「こども文庫」。亡くなられたご主人の蔵書と市立図書館から借りている絵本200冊が並ぶ。毎月第一日曜日と第三土曜日の午後一時〜四時に開かれている。名前の由来はお子さんが生まれたとき庭に植えられ現在は巨木になっている泰山木にちなむ。
泰山木の裏手の隣地に淵があり、今も水が少し湧いている。昔は洗濯ができるほど美しい水がこんこんと湧き出していたという。


文庫の近くの湧き水
通称トークタウン。黒崎窯業の跡地に昭和54年11月29日オープンしたショッピングセンター

昭和42年泉州卸商業団地協同組合設立総会開催 同48年4月大阪府下では第一号の生鮮卸売市場を擁する総合卸団地として開業 平成3年公共下水道共用開始に伴い汚水処理場跡地に共同駐車場新設 同8年再整備・活性化問題に関する調査研究を再開 JR高架計画及び市の総合計画と協調 同9年11月組合創立三十周年記念行事開催

総合建築設計・施工、地車製作修理の工務店。昭和54年に創業し56年に現在地に移転。棟梁の大下孝治師は大弥三こと三代目田端元一師の愛弟子であり娘婿でもある大下佐一郎師の孫にあたる。また母方は名門大工棟梁家絹家の出身で、久吾とも縁戚にある。弱冠26歳で独立。昭和62年泉大津市千原町の地車新調を皮切りに三十台以上の地車と太鼓台、やぐら新調を手がけている。

昭和28年宗教法人「生長の家岸和田道場」として大阪府保健所の跡地に発足。平成8年現在の建物が落慶。平成15年50周年記念行事が行われた。

宗教法人日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教会

明治時代菰池より水を引いて村の共同の洗い場として利用するようになった。湧き水ではない。NHKの「新日本紀行」でも紹介された。菰池が埋め立てられ水は来なくなった。
