地域の絆


いのちの絆・歴史の絆・地域の絆


 岸和田市内において、この土生町ほど一町だけで古代から近代にいたる史跡に恵まれている町はありません。新しい住民の方も増加している今日、この祖先から連綿と伝えられてきたいのちの絆・歴史の絆・地域の絆の証である史跡を後世に大切に伝えていくことは、未来に生きる人々への重要な道しるべになることは間違いありません。
 そもそも「ハブ」という地名は、神於山から海辺に至るまでの細長くなだらかな自然地形を指す地名であったそうです。羽曳野丘陵なども同じ言葉の語源を持つ地名で、「ハブ」―「ハモ」―「ヘビ」などに転化していく言葉でもありました。また、埴輪作りをした氏族土師氏がいたとの伝承もあります。土師氏は土生神社にお祀りする菅原道真公の祖先としてもつながっています。古くは現在の津田川がもっと北寄りに流れており、その旧河床に作才周辺の和泉式部伝承を持つたくさんの淵や、土生神社の出井などが湧く水脈があるようです。当時は天の川と呼ばれ、大陸からもたらされた七夕伝説がこの地にもありました。阿間河滝にその名をとどめています。しかし川がだんだん南の方に寄っていくに従い、水をめぐる争いが土生と阿間河の間で起きるようになり、七夕伝説は忘れられ、地域が二分されていったのではないでしょうか。その中で諸井堰から水を引く土生の水利の権利は大変強いものになって、今日まで受継がれてきています。
 現在でも、毎年夏の土用入りの日に意賀美神社において、津田川水系の土生神社・矢代寸神社からも参列して、土用入りのお祭が行われています。以前この御祭は土用のお神酒と呼ばれ、土生からはお神酒5本と白瓜5個、阿間河5ヶ村からはお神酒3本と白瓜3個をお供えしたそうです。言い伝えでは昔この地に旱魃があった時、土生・阿間河5ヶ村は意賀美神社の神前に橋を架ける約束をしながら果たさなかったため、以後どんなに遠くに探してでも白瓜をお供えすることになったそうです。この御祭は、土生・阿間河の村々の重要な井堰水路が土生滝村・阿間河滝村を通っていることへの謝礼をし、昔から水をめぐる争いが絶えなかったことへの反省から、共存共栄を祈る井堰祭だと考えられています。現在は残念ながら白瓜を意賀美神社に土生・阿間河から奉献する慣わしはなくなってしまいましたが、同日行われる土生神社の土用祭には白瓜をお供えしています。この白瓜はあの七夕伝説に出てくる瓜なのです。七夕に瓜をお供えする習慣は中国ですでにありますが、伝説の中で横に切らなくてはいけない瓜を縦に切ったために水が流れ出し牽牛と織姫の間を河が隔ててしまったのです。この瓜から水が流れ出したという伝説は洪水を意味しているのではないかというのです。現在では一年に一度だけ会えるという男女の愛に仮託してありますが、洪水を起こす川を治水して土地を開墾し村を切り開いてきた祖先の思いが、この伝説には込められているのでしょう。そんな祖先の艱難を越えてきた御労苦に感謝し、どんな災害にも負けず人と人の絆が深まることを願って白瓜をお供えしてきたのでしょう。村の歴史は神社の歴史に集約されてあり、祖先から連綿と続くいのちを見つめながら、氏神様に感謝の心を捧げ、伝統の継承を通して遠い未来までも愛と希望を共に伝えていきたいと日々この鎮守の森の中で願っております。

                        阪井 健二(土生神社宮司)