土生の伝説 |
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土生町、作才町、上松町一帯に和泉式部にまつわる伝説がある。土生の式部淵、作才の恋ざめの淵、蛙鳴かずのどんび淵、上松の恋の淵、筆塚、硯塚などがある。里謡にも「わしの思いはあの作才の和泉式部の恋の淵」とよまれている。

筆塚(下松町)

かわず鳴かずのどんび淵(作才町)

恋ざめの淵(作才町)

恋の淵(上松町)
山下住宅内に跡地を示す碑がある。「土生郷村誌」に「昔日本武尊の神霊、白鳥と化してこの處に降り給ふと、村民今にこの地を神聖な處として崇拝する」とある。

土生交番の南側に小さなお堂があり、五輪塔が祀られている。和泉三十六郷士の一人土生十左衛門の墓とも、 土生村庄屋庄右衛門の墓とも伝えられる。一説では土生村庄屋庄右衛門は岡部氏が岸和田城に入城の際前城主松平氏が加増した領内一万石の減免を請願して強訴の罪に座し、斬首されたといい、村人はその徳を仰ぎ冥福を祈って祀ったという。罪人で表立った供養が出来ないため歯神さんとして信仰されてきたと言われている。

村のあちこちにきつねがいて人をだましたりいたずらしたりしたという。今城にはお稲荷さんが祀られていたが、今はもうない。近隣では諏訪山のたぬきとか 岸和田池の大蛇などの伝説もある。

作才町慈光寺門前にある。万治三年過酷な年貢に耐えかねて一村をあげて作才村は逃散したと伝えられている。その時 逃げ去った庄屋与兵衛の敷地にあった石を城内に移したところ「ざぐざえの・・・」と夜になると石がすすり泣く声が聞こえ、作才村に戻されたと伝えられている。

里謡に「泉州畑村袖取坂で小判千両は後のため」と歌われている。急な見通しの悪い坂でつまずくとげんが悪いので袖を引きちぎって神様に捧げて足早に通り過ぎたという。もともと波多神社はこの附近にあったか。
