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旧跡・社寺・伝説地など |
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作才と上松境界附近に湧水の淵がたくさん見られる。和泉式部の伝承を伴うが村の境界に聖と俗の境界を重ね合わせて生まれた信仰と伝承かもしれない。

作才町字出口にある。浄土真宗本願寺派 創建年月不詳 もと真言宗根来寺の配下であったが中興円融の時転宗した。寺の前に夜泣き石・桜地蔵尊がある。

しゅうれんぽ跡付近
国道26号線の開通により消えたが美しい湧水があった。近くに大泉の地名もある。


極楽寺に伝わる昔の駕籠
浄土宗知恩院末寺 創建年代は不詳 永正九年燈響上人の中興 根来寺との攻防がこの寺院をめぐっても行われ近くの上の池などの池が堀の役割を果たした城郭寺院である。 元和元年南宗寺復興のため来岸した沢庵和尚が滞在し、和尚を顕彰する碑が境内にある。

畑町字コントに鎮座。延喜式内社 波多八代宿祢を祀る。
黄金伝説があり、里謡に「泉州畑村袖取坂で小判千両後の世のため」と詠まれた。昔そこでつまづくとげんが悪いということで着物の袖をちぎって土地の神様に手向け早く通り過ぎたという。
畑町字村中にある。浄土真宗本願寺派 大永二年二月創建。
旧阿間河荘の神事が行われる時下字(極楽寺・畑・流木)と上字(八田・神須屋・真上)がこのお堂で行き合って一ノ宮にお参りした。附近に大門の地名が残り、平安時代の瓦が出土している。極楽寺のもとのお寺があったか。
矢代寸神社西方約100メートルにある旧津田川河床湧水群の一つである。付近から弥生時代中期の土器一片が発見されていて遺跡推定地である。古代の人にとって重要な水源であったのだろう。名前の由来はわからないが、各地で弘法大師が杖をついたところから水が湧いたという伝説があり、同じような伝説があったかもしれない。


八田町に鎮座。継体天皇元年の創建と伝える延喜式内社。武内宿祢・波多八代宿祢
・素盞
命・建御名方命・市杵島比売命・武甕槌命を祀る。阿間河の一ノ宮として崇められてきた。例祭には氏子5台のだんじりが宮入りする。


夜星
神須屋に鎮座していた延喜式内社矢代寸神社の下社 明治40年に合祀される。現在は公園となっているが、例祭には御旅所となり、矢代寸神社から御神興の渡御がある。近くに「夜星」という淵があり、種を浸す淵であった。



天神山町にある大山大塚古墳は蘇我氏に滅ぼされた物部守屋に仕えた捕取部萬の墓と伝える。萬は守屋滅亡後妻の実家のあった当地に逃れ、大奮戦の後自害。朝廷は萬の亡骸を八つ裂きにしようとしたが、飼い犬が萬の首を食いちぎって埋葬し、その横に臥して飢え死にした。朝廷は義犬と称え、萬一族に萬と犬の塚を作らせた。明治22年三條実美の題辞の顕彰碑が建てられ、岸和田市指定史跡。
天正三年松浦肥前守が岸和田庄の池として作らせた。岸和田城堀用水として計画されたが平時は岸和田庄の水利に使用されていた。池に大蛇が棲むという伝説がある。山池とも呼ばれ、今は二つだが初めは三つの池があった。この池が出来るまでは岸和田村は土生から水をもらわないと村が成り立たなかった。土生郷岸和田と書いてあるものもあるという。
池は現在日待講の所有で、元岸和田村水利組合が管理している。諸井堰から上げられた水は土生滝の水利によって岸和田池にも水が込められる。毎年四月頃池に水が入ると満水祝いの行事がある。池の水は一旦津田川に落とし、再び岸和田井堰で上げて岸和田(上町・南上町)の田んぼに水が引かれる。
昭和31年流木町の土田山から小型の銅鐸二個が出土した。うち一個は京都国立博物館に常設展示している。附近に牛飼原・犬飼原の地名があり、東方約150メートルにカンナベ山がある。
流木町字芝出にある。浄土真宗本願寺派でご本尊は阿弥陀仏。由来は不詳。先代住職故出口神暁氏は郷土史研究家として知られ、貴重な史料文書を集めた鬼洞文庫は有名であった。

流木市営墓地の一角に城山が残されている。堀の跡も見られる。豊臣秀吉が根来攻めのおり築いた出城と見られている。山麓の東側にかつて落合神祠があり、清水が湧いていた。一時期清水から四十九社と呼ばれたが、地元ではいくさでなくなった四十九人の首を埋めた所という伝説があった。明治期に社は矢代寸神社に合祀した。根来攻めの出城として更に貝塚寄りに槍ヶ谷城もあった。
別所町ちびっこ広場に碑が建つ。寛治四年白河法皇の熊野参詣の折この地に美しい白蓮の花が咲いているのをご覧になって熊野社を勧請したという。その際法皇が留まった場所に土生神社が建てられたと伝えている。熊野社は現岸和田天神宮に合祀されているが、土生神社にも本殿横に末社熊野社が祀られている。別所町の地車の纏に熊野社ゆかりのヤタガラスがあしらわれている。