森からの手紙


森からの手紙:平成17年/第4号


歴史を貫く道を見つめよう

                             宮 司  阪井 健二

 土生神社が出来たのは、平安時代の寛治四年(1090)のことだと言われています。伝承では白河上皇が熊野御幸の帰途隣地の別野村の田の中に美しい白蓮の花が咲いているのをご覧になって、ここに熊野神社を祀ろうと暫く当地にとどまられた時、当時土生の村民は現在の土生滝にある意賀美神社を産土神として仰いでおり、遠く隔たっていることを憂いて、源俊頼卿によって鎮守の神を祀りたいと願い出たところ、天満天神を祀れとの御意を得たのです。そこで喜んだ村人は俊頼卿に従って村人の代表十六人が上洛し、その旨を北野天満宮に伝え、分霊と道真公真筆の法華経を受け帰り、同年八月二十一日上皇が留まられていた場所にお祭りしたのが当社の創建と伝えられているのです。この伝承をもとに平成二年には創建九百年祭が行われたのです。
 しかし、創建をもう少し古いとする伝承もあり、その伝承の真偽の検証はとにかく、熊野信仰と天神信仰の興隆を背景にこの神社が新しい姿を持つことになったことを、この寛治四年の創建伝承は物語っているのでしょう。神社自体はもっと古くから存在したと思われ、恐らく千年以上の歴史があるでしょう。
 この寛治四年の創建伝承に関連する白河上皇がお祀りしたという熊野神社は現在の別所町にありました。明治期に合祀されてしまいましたが、ちびっこ公園に跡を示す碑が立っています。かつては立派なお宮があったと思われます。
 平安期から鎌倉期に上皇や貴族の熊野詣が流行し、後に蟻の熊野詣と言われる程の現象となりました。その行き帰りの沿道にあたる地域では大きな負担を強いられることになったと同時に文化的影響を受けることにもなったはずです。古代から中世に時代が動いていく中でこの土生一帯の地域も変化していくその歴史の足音がこの土生神社の創建伝承の中に残されていると感じられます。
 熊野詣はよみがえりの信仰であると言われています。魂のよみがえりを願って熊野に参詣する都の人々の姿をこの地域の村の人達はどのような気持ちで見ていたかわかりませんが、雲の上のような高貴な暮らしぶりを垣間見ることは当時の人の感覚では神様を見るのと通じる感覚があったかもしれません。そしてその感覚を近隣の寺社の信仰の中に反映させてもいったでしょう。
 その当時の面影をしのぶものは現在この地域にはあまりありません。わずかに道としては道の池の堤道に熊野古道の面影が残されていますが、この池もいつ開発の波にさらわれ古道が失われてしまうかわかりません。しかし地域の大切な文化遺産として後世に残し、日本の歴史が歩んできたと言ってもよい道を遠い未来への希望の架け橋とし、昔の日本人が持っていた美しい心を地域から甦らせるまちづくりを考えていかなくてはいけないと感じています。目先のことにだけとらわれず、未来の子孫のことを思う気持ちは、地域の伝統と歴史を守ることと一体のものなのです。それがこの神社の歴史を貫いてある、子孫がどんな時代になってもこの地域で強く仲良く暮らしてほしい、幸せであってほしいという祖先から連綿と続く願いでもあるのです。