森からの手紙:平成17年/第8号
例大祭を終えて
宮 司 阪井 健二
さる十月八日九日の二日間に亘りまして行われました当社の本年度の例大祭も氏子崇敬者皆様のご協力により盛大に滞りなく終了いたしましたことを心より感謝し、厚く御礼申し上げます。
例大祭に当りご神前にお供えを賜りました皆様にも深く感謝申し上げます。
一年に一度の例大祭はこの土生の地で古くより暮らしを営んできた祖先が感謝の心で大切にお祭りしてきた氏神様への感謝の心を新たにし、今後もこの地で安心して平和な暮らしを営み、子孫が繁栄していくことを祈願するお祭です。
近年世界各地で大きな自然災害が相次ぎ、またパキスタンで大地震が起きましたが、自然から無限の恵みを受けて生きている私達であり、災いはどんなに大きく見えても戴いている恵みからすればごく小さなものです。その感謝の気持ちを忘れていることが災害を大きくしていっているように思えてなりません。日常に与えられている無限の恵みに対して非日常的な大祭において最大の感謝の気持ちを表してお祭をすることは神様と人のつながりを確かにし、いつ何が起きるかわからないこの世の生活を揺るぎのない安定したものにしていくためにも大切なことだと感じます。
大祭が終了して一週間後の十月十六日の夜私は西のさの神さんのお祭に参加させて戴きました。私がこのお祭に参加するのはもう三回目となります。例年大祭前に行われていましたが、今年は都合で大祭の後となり、それも雨で一日順延しました。東のさの神さんは大祭前に行われたようです。私が知る限りではこのお祭は年々賑やかになるようです。
さの神さんというのは幸の神さんと書かれていたりしますが、もともとは塞の神の意味で、村に外から悪い疫病などが入ってくるのを塞ぐ神様として信仰されてきたものです。全国的にあり、道祖神と混同されている例もたくさんあります。たとえば矢代寸神社の北参道の入り口に足神さんとして信仰されている道祖神社がありますが、これももともと村の塞の神であった可能性があります。また極楽寺町にどろくじ地蔵がありますが、どろくじが道陸神の意味だとすれば村のはずれに祭られた塞の神の可能性があります。
土生にはもともと村の四方に塞の神が祭られていたとも言います。今は鬼門と裏鬼門のさの神さんだけが残っていますが、こうした神様への信仰を支えていたのは村の境界への意識であり、村の自治に対する意識であったのではないかと考えられます。「日本の神様読み解き事典」という本に塞の神のことを防災の守護神と書いていますが、自分達の村は自分達で守り、自分達で作っていくんだという意識の中で息づいていた信仰なのでしょう。土生町にもこんど自主防災組織が生まれるそうですが、氏神様への信仰を中心としながらも、そこに一点集中するのではなく、多様な信仰をもっていた村の伝統にはこれからの社会においても学ぶことがたくさんあるのではないかと感じます。
現在は地域での生活よりも多くの人が会社勤めが中心の生活となり、この地域でも大祭は土日開催となっていますが、旧市の岸和田祭でも開催日の議論が起きています。しかし本来地域は狭い範囲でほぼ自主独立しており、江戸時代までのそうした社会を米山俊直氏は小盆地宇宙と表現しているそうです。確かに岸和田祭の背景にある地域の歴史をみても、町方・村方・浜方の三種の地区が一つになって行うことに、正に小盆地宇宙の祭りとして岸和田祭が盛大になっていった要因があると考えられます。現代風に言うと町的な要素と村的な要素がその中に相まってあるということです。
その点十月祭礼の当地は地域性に違いがありますが、イベント的な方向に走るのではなく、氏神様への信仰を中心とする多様な地域の伝統文化を育んでいく象徴としてだんじりを曳き、氏神様と祖先への感謝の気持ちを高めていかなくてはならないと思うのです。
土生町の人間としての誇りと感謝の気持ち。その自覚を大切に後世に伝える例大祭なのです。