森からの手紙:平成18年/立春号
土生の旧道から人生の二つの道を考える
宮 司 阪井 健二
平成十八年の立春を迎える今、あらためて平素の当社に対するご協力に感謝申し上げますと共に氏子崇敬者 皆様に幸多い春となりますようにお祈り申し上げます。
さて昨年当社の境内に古い一つの道標が放置されているのが発見されました。道標には「東ハ山だい・西ハきしかいづか・南ハわか山・北ハさかい」と刻まれていました。この道標がもともとどこに立てられていたもので、いつここに放置されたものなのか、今のところ誰に聞いてもわかりません。
この発見から俄然土生の旧道に対する関心が高まり、当社が主宰している郷土の歴史を学び伝承する会の緊急企画として、去る一月二十九日(日)熊野の語り部であり、岸和田近辺の旧道にも詳しい大町在住の月山渉氏を講師にお招きして、「土生の旧道を歩く学ぶ考える」と題する学習会を持たせて戴きました。
当日は三十名の参加があり、冬晴れの空のもと土生神社境内の道標を起点として今回月山氏がポイントという三つの道標すなわち道の池堤にある小栗道の道標、東岸和田駅南踏み切りにある葛城道貝塚道の道標、そして土生村中の札場にある道標を結ぶコースを、車社会、スピード社会となって埋もれていきつつある旧道の記憶をかきわけてたどるように月山氏の解説を得てみんなで歩きました。
土生神社の道標についてはさほど古いものでなく、明治期のものとも推定されるようですが、元の位置は私達が考えていたように月山氏も小栗道と貝塚道の交差するあたり現在お好み焼きさなえちゃんのある点滅信号の交差点附近ではないかとのことでした。
私が今回の学習会を通じて最も興味を惹かれた点は土生神社の横を流れている紅葉川は土生村の命の脈と言ってよい重要な水路であり、この水路に沿う道を本道と村の人は呼んでいました。この道こそ葛城道であって、岸和田城神明門を起点とするこの道は現在の塔原線東岸和田南踏み切りより若干南側辺り、吉田酒店横の鉄板が伏せられている水路に沿うようにJR線が通るところを過ぎ、今はマンションになっている牛ばみ池の堤にぶつかって二方に分かれていたのです。現在は踏み切りのそばに鬱されているお地蔵さんの道標はもともとこの分岐点にあり、「右かつらき 左土生村 道」と刻まれています。一方は土生の集落の中を行き、一方はほとんど水路と田んぼしかなかった見通しの良い村はずれを通っていたのです。この道を月山氏はバイパスと表現されましたが、葛城の峯に向かう参詣の道、あるいは紀州へ越えるためのこの道は、集落の中を通って余計なものが目に入る道でないまっすぐに目的に向かうための道だと月山氏は言われるのです。やがて二つの道は現在も「わかれと」と呼ばれている附近で再び合流し葛城道として続いています。
一つの道が土生村を通る時二つに別れ、そして再び一つになる―そこには先人達の生活とその思いが息づいていることが感じられ、私は月山氏お話に深い感動を覚えました。そしてこの土生村の二つの道のように私達の人生にも二つの大切な道があると感じたのです。
一つは葛城の峰に向かっていく参詣道のようにまっすぐに神様を仰ぎ仕える道、あるいは紀州に向かう道のように人生の目的にむかってひたすら努力する道。
もう一方の道は土生村の集落の中を行く道のように村の人と共に生き助け合って生活していく道。
私個人のことを言えば、私は神主でありますから神様を絶対的に信じ、誠の心を持って神様に仕える道を歩む努力をしています。まだまだいたりませんが。
神様の存在を否定してはこの世は存在しませんし、この地域の氏神様に感謝する気持ちなくしてこの地域での暮らしは成り立ちません。最終的に人間を救えるのは神様しかいませんが、人と人が助け合って生きていくことを神様は願っておられ、神様に奉仕する道と共に人と人が助け合う道の大切さを土生神社から地域に発信し続けていきたいと考えています。

土生神社境内で発見された道標