森からの手紙:平成18年/4月号
氏神様に見守られ
ささやかな幸せをあたためて
助け合って生きてゆこう
宮 司 阪井 健二
おかげさまでこの四月を持ちまして私が当社の宮司に就任いたしまして三年の節目を迎えております。
この間の氏子崇敬者皆様のご指導ご協力に対しまして心より感謝申し上げますと共に、いたらない点多々ありご迷惑をおかけしてきましたことを深くお詫び申し上げます。
土生町の鎮守の神様、氏神様である当社はまた、この町の連綿と続く伝統と歴史が神様に常に見守られながら地域の人々が助け合って築いてきた地域の共有財産であることを伝える場でもあり、その場を預かる責任の重さをこの節目にあたりあらためて感じているところです。
そしてその責任をより一層果たしていくために新たな一歩を踏み出していきたいと決意を新たにしています。
実は私が個人的に主宰している「小さな友の会」というボランティアグループがありまして、十五年以上活動を続けているのですが、これまで岸和田市立福祉総合センターで例会を開催してきたのを、今年からは地域の人の交流の場を兼ね土生神社の社務所を借りてさせて戴くことにしました。
去る三月二十五日には「生きるとは夢を持って歩き続けること〜両腕を失って見えてきたこと〜」をテーマに奥塚明さんにお話をして戴き、語り合いのひとときを持たせて戴きました。奥塚さんは二十二歳であった昭和六十年三月十七日地下鉄千日前線桜川駅のプラットホームで倒れ線路上に転落、入ってきた電車に轢かれ、一命は取りとめたものの両腕を失うという事故に見舞われました。その後も婚約者の自殺、母上の不慮の死と過酷な運命が奥塚さんを襲いましたが、自らの力でその運命をはねのけ、新たな人生への一歩を踏み出されました。今では結婚して一児の父ともなり、全国で講演やコンサート活動をして活躍されておられます。
今回も土生神社へは奥様と小学校一年生のご長男さんと親子三人で来て戴きましたが、十五年あまり前初めて施設でお会いした時は今日の奥塚さんの姿はとても想像できませんでした。まだ事故にあった心の後遺症もかなり感じられ、本人の意志とは別に何事もマイナスの方向に引きずり込んでいくような強いエネルギーが奥塚さんに働いていました。その後奥塚さんと交流を持つうちに、奥塚さんが施設を出て地域で暮らしたいという強い希望を持っていることを知りました。
私は奥塚さんを施設に迎えに行っては私の家に泊まって戴き、あちこちと出会いを求めて歩くようになりました。それが「小さな友の会」の始まりでもあるのですが、ある時その日の予定を終え、施設まで奥塚さんを送り届けたのですが、施設に届けてある帰りの予定時間までまだ間があり、門限までも間があるのに施設の入り口は閉ざされ、宿直の職員は二階の部屋に上がってしまっています。ベルを押しても誰も気づいてくれません。その頃は携帯電話なんてものも持ってはいなかったのです。奥塚さんは二階の部屋に向かって何度も何度も大きな声で叫びました。その姿を私は横で見ながら、家族が待っているわけではない施設の暮らしとはこんなものかと愕然として、その奥塚さんの叫び声がいつまでも耳の底に残って響いているように感じるのです。家族と暮らすこと、地域で暮らすことがどんなにありがたいことかを痛感したのです。
その後奥塚さんはご縁が広がり、施設を出て地域で暮らすようになり、家庭も持たれることとなりましたが、先日の当社での会には十代のお子さんのことで悩んでおられる母親の方なども参加されておられ、涙を流して奥塚さんのお話を聴いておられました。ある参加者が「障害を持たれてから障害に対する見方が変わりましたか?」と質問されたのです。奥塚さんは、初めは障害者になってしまったという気持ちが強かったけれども十年ぐらい経つうちに健常者と何の隔たりもなく生きることができるようになったというのです。奥塚さんの今日までのご自身の努力には大変なものがありました。それと共に多くの方の支えもありました。その中で奥塚さんは、人は支え合って生きるものであり一人で生きるものではないということに気づき、感謝の気持ちを持つと同時に障害者としての劣等感も吹き飛ばされていったのでしょう。
その日の会には土生町会の山口会長(土生神社総代会長)もご出席戴いていて、交流が進む中でご自身の若い頃の失敗談のようなことをさらけ出してお話されたのです。私はその話を聴きながら、特別なことを求めるのでなく、人と人がこうして心を開いて語り合うことが大切であり、それが助け合いにもつながっていくことを心にしみるように感じたのです。山口会長様 ありがとうございました。
私は一人ぼっちであり、病気になったりすると辛さを感じ、家族がそばにいてくれたらと感じます。仕事が出来なくなると急には代わりがいないので健康には気をつけていますが、いつかあたたかい家庭を持つことが出来たらと思います。
そんな縁がいつか私にあたえられるのかどうかはわかりませんが、氏子地域の皆様が氏神様に見守られながら、ささやかでもあたたかい家庭をもってこの地域で暮らしていくことが出来るように、そして地域の人々が助け合って生きていくことが出来るように、私も微力ながら真心を尽くしてこれからも奉仕をしていきたいと考えています。どうかいたらない私ですが、今後ともご指導ご協力ご声援を賜りますようにお願い申し上げます。