森からの手紙:平成18年/暑中見舞号
〜暑中お見舞い申し上げます〜
助け合って生きていけば、
必ず神様が助けてくれる
宮 司 阪井 健二
まだ梅雨も明けていないとはいえ、暑い毎日となっていまして、暑中お見舞い申し上げます。
平素は当社の護持運営に対し、ご協力を戴いておりますことに対して厚く感謝申し上げます。ありがとうございます。
さて私事ですが、春先より少し体調を崩して、七月半ばの今に至りましても万全ではなく、養生しつつ勤めさせて戴いております。皆様にはご迷惑をおかけしていることもあるかと思いますが、出来る限り心をこめて勤めてまいりたいと思いますのでご寛恕の程よろしくお願い申し上げます。
ふだんは意識しませんが、やはり健康のありがたさを痛感しています。健康でいられるだけで大きなおかげに守られていると言わねばならないと感じます。
また病気に苦しんでおられる方の痛みや気持ちを思わずにいられません。自分が健康で暮らしていると、他人の苦痛のことは忘れがちです。心のどこかにおごりが生まれているのかもしれません。
健康であることへの感謝と他人への思いやりの心、それがあって初めて人はほんとうに健康と言えるのではないでしょうか。
自分の痛みを通して他人の痛みがほんの少しでも見えてくることは大きな恵みです。自分が本当に大変な時や苦しんでいる時はそんな余裕はなくて当たり前ですが、少し痛みがやわらいだ時や、回復への兆しが見えてきた時、同じような苦しみにある人のことを考えることが出来るとしたら、病気をしたことが単なるマイナスの出来事ではなくなります。人は自分自身の苦しみや痛みを通して他人と共に生きる大切さを学ぶのではないでしょうか。そして、自分一人では救われないような苦しみや痛みを感じても、他人の痛みを思い、人と人が助け合って生きていく時、神様は必ず助けてくれるはずです。
病気だけでなく、人は人生の中でさまざまな困難にぶつかるものです。時には生きる意味を見失うこともあるかもしれません。でもそこが決して人生の終点ではありません。
人生とはやはり希望にたどり着くための旅だと思うのです。そしてその旅には終わりがありません。もう終わりだという時こそ、この人生の旅の目的である希望にたどり着くということを思い出して、更に先に進む努力をしなければならないのです。砂漠のように広がる人生であっても、その中に必ずオアシスのような希望の町が点在しており、そこを目ざしてまた歩いていかなくてはならないのです。
とはいえ、私自身自分の弱さをよく知っているので、あまり強いことはいえないのですが、どんなことがあってもとにかく生きていてほしい、どこかで必ず生きていてほしいと願うのです。
死んだ人を甦らせることは神様でも出来ない掟ですが、生きている人に対しては神様は最後まで見捨てることなく、希望を与え続けようとされておられるのです。その希望をみんなで分かち合って生きていけば、一人一人に与えられている本当の生きる力が湧いてくると感じるのです。
先日流木町の水利組合長さんが、昔池の堤の普請の手伝いに行った時、先輩から大きなかけやで叩くことよりも、一人一人が小槌を持って叩いて固める仕事の大切さを教えられたと話しておられましたが、一人一人の小さな力の大切さと助け合う大切さを昔の人はよく知っていたのです。
いま私達は一人一人が小槌を持って、この故郷のために助け合って、希望を失って自殺したり犯罪を生んだりすることのない力強い地域社会を作って生きたいと切に願います。そんな私達の姿を神様はずっと見守っていてくれますし、必ずすばらしい未来が見えてくるはずです。共にその未来に向かって進みましょう。