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新潟県中越地震被災地訪問の報告

平成18年8月29日(火)
災害ボランティア活動 共に歩む気持ち

 さる8月29日新潟県中越地震被災地を訪問し、中越復興支援会議の鈴木隆太さんの案内で、一年ちょっとぶりに旧山古志村に入りました。

 昨年入った時は村の途中で山崩れのため道が分断され先に進めませんでしたが、とりあえず現在は通行出来るようにはなっています。しかし舗装はまだほとんどされておらず、普通車だと走りにくい状態です。全村域で復旧工事をしているという感じで、他府県ナンバーの工事車両をたくさん見ました。村に少しずつ戻ってきている人もあるようですが、とても落ち着いて生活出来るという状況ではありません。またいまだ避難指示が解除されていない地域があり、通行規制があります。

 もともと山古志村は大小14の集落からなっていて、山崩れで川がせき止められて集落が水没してしまったところがあり、今も写真の通り池のように水の底に集落が沈んだままです。水が退いた集落でも泥に埋もれた家が放置されていました。

 地震当時山古志村は人口2163人。地震は平成16年10月23日17時56分に発生し、翌日より全村避難開始、長岡市内7か所に別れて避難所生活の後12月より仮設住宅に引っ越し 陽光台仮設に12集落327世帯(現在242世帯) 新陽仮設に1集落178世帯(現在131世帯) 青葉台仮設に1集落122世帯(現在78世帯)が居住し、現在まで続いているのです。

 今回陽光台仮設住宅を訪問させて戴きましたが、そこは長市のニュータウンの中にあり、それは神戸の震災の時西神のニュータウンに建てられた仮設住宅とあたりの雰囲気からそっくりでした。神戸の悪夢が蘇るという感じがしたのですが、神戸と大きく違う点は山古志の場合は集落ごとに仮設住宅に住んでいるのでみんな顔見知りなのです。神戸の場合は都会ですし、いろんな地域から入ってきていたのでほとんど知らない人ばかりでした。孤独死というようなことが最後まで問題になりました。

 地震後山古志村は長岡市に合併し、元の役場が長岡市の山古志支所としてこの9月から再開されるのです。昨年訪ねた時は役場も建物の周りがかなり地震で損傷していましたが、今回みると綺麗に補修され再開を待つばかりとなっていました。そう言えば役場の隣で山古志唯一の食堂みやこが営業しており、災害復旧工事にたずさわっている人達がよく利用しているようで、私達もそこで昼食をとりましたが、その店オリジナルの黒ラーメンをおいしく戴きました。支所が再開されれば復興にはずみがつくとは思います。

 仮設住宅にはボランティアセンターがあり、そこはディサービスセンターにもなっているのですが、一般公募で生活相談員になったIさんという若い人が頑張っておられました。彼は家がお寺で僧侶でもあるのですが、ボランティアに来ている東洋大学の学生さん達にここでは家とか水とかふだん当たり前にあると思っているものが本当は当たり前にあるものではないんだということも感じてほしいと語りかけているのをそばで印象深く聞かせて戴きました。


 そこで驚いたのは神戸のひまわりおじさんが来ていて、私の名前を呼びかけられたことです。神戸の地震以来被災地にひまわりを咲かせる活動は多くの人に感動を与えてきてくれたのです。新潟で会うとは思っても見ませんでしたが、山古志にひまわりを咲かせようとまた神戸からたびたび来ておられるようです。さすがですね。

 今回以前から小さな友の会で預かっていた絵はがきを山古志仮設住宅の災害ボランティアセンターで仮設住宅の皆様のために使って戴けるように託してきました。

 仮設住宅から出ていく人が徐々に増えている中で、村に帰るメドが全くたたずに焦る気持ちを持つ人もいるようです。あの山古志村の現状を見る限り一番大変なところの復興はこれからまだまだ長い時間がかかるように思えました。

 私には何も出来ることはありませんが、これからもほんの少しでも関心を持ち、気持ちだけでも共に歩みたいと願っています。

                                        阪井 健二

                       山古志村1















                       山古志村2















                山古志仮設住宅1











                山古志仮設住宅2











                山古志仮設住宅3












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